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東京地方裁判所 昭和56年(特わ)1424号 判決 1983年2月28日

主文

被告人日本観光株式会社を罰金四〇〇〇万円に、

被告人舛井敏夫を懲役一年に

それぞれ処する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人日本観光株式会社(以下「被告会社」という。)は、東京都港区北青山三丁目一一番一四号(昭和五二年四月一九日までは東京都港区南青山五丁目六番二三号)に本店を置き、不動産の売買・仲介業等を目的とする資本金一億円の株式会社であり、被告人舛井敏夫は、被告会社設立当時から昭和五二年一一月一二日辞任するまでは被告会社の代表取締役として、その後、昭和五四年九月一二日再び被告会社の代表取締役となるまでの間は被告会社の実質経営者として同会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人舛井は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、架空仲介手数料の計上、期末たな卸の除外などの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五二年四月一日から昭和五三年三月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が四億二二五一万二四三六円(別紙(一)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五三年五月三一日、東京都港区西麻布三丁目三番五号所在の所轄麻布税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が二億一三二四万三五五三円でこれに対する法人税額が一億二二七七万八四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額二億六一〇三万一〇〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)と右申告税額との差額一億三八二五万二六〇〇円を免れたものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

一  実質経営者について

弁護人は、被告会社では本件法人税確定申告書を提出した昭和五三年五月三一日当時、細川和(以下「細川」という。)が代表取締役として業務全般を統括し、法律上のみならず、実質上も経営者の地位にあったものであり、これに対して被告人舛井は、被告会社の実質経営者ではなかった旨主張する。

そこで判断するに、関係証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人舛井は、被告会社の全株式を保有するとともに、代表取締役として業務全般を統括していたが、昭和五一年三月二四日、これより前に、別に経営していた第一信用株式会社に関する法人税法違反の罪で懲役八月、執行猶予三年に処せられ、宅地建物取引業の免許更新に支障となることから、昭和五二年一一月一二日被告会社の役員を辞任し、右執行猶予期間経過後の昭和五四年九月二日、再び代表取締役に就任するまでの間、被告人舛井に代って、右辞任当時に被告会社の常務取締役であった細川が被告会社の代表取締役に就任していた。ところが、被告人舛井は、代表取締役辞任後も、依然被告会社に出勤して社長室を使用し、従業員からは社長などと呼ばれ、内勤編成表にも「社長舛井敏夫」と表示されていたうえ、代表取締役辞任後も、昭和五二年一一月分、一二月分は役員報酬として月額一五〇万円を受領し、昭和五三年一月以降は退職金一億五〇〇〇万円の分割払の名目で月額一五〇万円を受領していたほか、仮払金の形式で用途を明らかにしないまま多額の金員を使用していた。また、自ら資金繰りや仕入関係を担当していたばかりでなく、経理課、業務課等が作成する書類の決裁を行い、係長会議、課長会議にも出席していた。

他方、細川は、代表取締役就任後も従前同様に業務関係を担当し、経理関係については、当時経理部次長の浅尾明伸(以下「浅尾」という。)から報告を受けることもあったが、少額のものを除いて同人に対し直接指示することはなかった。業務に関することであっても被告人舛井の決裁を受けていた。また、その執務室として専務室を使用し、社員からは専務などと呼ばれ、内勤編成表にも「専務細川和」と表示されているほか、報酬としては月額九〇万円を受領し、仮払金の形式では、用途が明らかで少額な金員を使用することができただけであった。後述するグランツ榛名及び第四京葉台の土地問題についても、細川や浅尾は、あらかじめ被告人舛井の了承を得た後に実行しているし、昭和五三年三月期(以下「当期」という。)の法人税確定申告(以下「本件法人税確定申告」という。)についても、浅尾は、あらかじめ被告人舛井に法人税確定申告書を示して説明し、「細川専務にサインしてもらっていいですか」と指示を仰ぎ、その承諾を得た後に、細川が被告会社の代表者として右確定申告書の取締役自署押印欄に署名し、浅尾が、常時保管している代表者印を押捺したうえ、昭和五三年五月三一日に所轄税務署に提出した。

もっとも、対外面では細川が手形の振出、契約の締結、法人税確定申告書の提出等に関して、被告会社の代表取締役として、その衝にあたっているが、それらの行為も、被告人舛井の指示あるいは了承の下に行われたもので、細川が独自に決定権を持って行使したものとはいえず、かえって、細川や浅尾は、被告人舛井の指示を被告会社の方針であるとして、これに沿って営業活動や経理処理等をしていたものである。

以上の事実が認められる。被告人舛井や細川ら自身も、当公判廷において(公判調書の記載を含む。)、また検察官に対する供述調書において、被告人舛井が実質経営者であることに添う事情を供述しているのである。こうした事情に照らしてみると、被告人舛井が、弁護人主張のように、被告会社の創立者であり、且つ全株式を所有することから、単に社内において物質上、精神上の優遇を受けていたに過ぎないとみることはできないのであって、被告人舛井は、被告会社の仕入、経理、営業、人事等に関して最終決定権を持ち、且つこれを行使しながら被告会社の業務全般を統括していたものと認められるから、被告人舛井は被告会社の実質経営者であり、法人税法一五九条一項にいう法人の「その他の従業者」に該当すると認めるのが相当である。

よって、弁護人の主張は採用できない。

二  期末たな卸土地の除外について

1  被告会社が当期において後記グランツ榛名及び第四京葉台の各土地につき売上高二〇〇〇万円(売却損一億〇五〇二万二三四七円)を計上したのは、次の(一)または(二)のいずれかの理由からして正当であり、仮にそうでないとしても、(三)の理由によって正当であり、いずれにしても認容されるべきものであると主張する。

(一) 被告会社の分譲用土地である群馬県吾妻郡吾妻町大字大戸字手古丸一九六七番三四〇外の土地(以下「グランツ榛名の土地」という。)及び千葉県香取郡大栄町稲荷山字内野三九〇番二外の土地(以下「第四京葉台の土地」という。)について、被告会社は日本観光サービス株式会社(以下「日本観光サービス」という。)に対し、その簿価が合計一億二五〇二万二三四七円であるものを、代金二〇〇〇万円で売却したが、その売買契約は昭和五三年三月末日までに成立した。

(二) 日本観光サービスは、被告会社に対し、昭和五〇年ころから継続して、グランツ榛名の土地の取得を申し込み、被告会社も、その売却を承諾していたが、具体的な坪数だけが未確定であったところ、細川、浅尾と日本観光サービス代表取締役村上恒雄(以下「村上」という。)との間で話し合いがなされた後に、売買契約書が作成(昭和五四年六月一〇日に調印)されるなど一連の過程を経て本件土地が売却されるに至ったものである。従って、その税務処理については、売上げないし売却損を、右期間内のどの事業年度に計上すべきか、すなわち売上計上時期が問題となるに過ぎず、本件計上については、期ずれが認められることはあっても、偽りその他不正な行為があったことにはならない。

(三) 本件計上は、売買を契機として、実質上、大部分が不良在庫である土地につき、評価損の計上をしたものである。

2  そこで判断するに、関係証拠によれば以下の事実が認められる。すなわち、浅尾において、被告会社の当期決算のため、昭和五三年三月一八日ころ当期の利益を試算したところ、約三億五七〇〇万円という多額の利益が見込まれたことから、その旨を被告人舛井に報告するとともに、同被告人に対する多額の仮払金を処理するため、同被告人と相談して、後に詳述する架空仲介手数料九八〇〇万円を計上することとするなどしたうえ、三月二〇日ころ改めて試算したものの、なお約二億四八〇〇万円の利益が見込まれた。そこで浅尾は、この機会に売れ残っているグランツ榛名及び第四京葉台の各土地を日本観光サービスに対し一括売却して売却損を発生させることにより当期の利益を減少させることを考え、細川にその旨相談し、同人の賛同を得たうえ、同五三年四月下旬以降になって、両名で被告人舛井に同様の提案をして、その了承を得、以後の処理につき一任を取り付けた。その後、同年五月ころにかけて、細川、浅尾が日本観光サービスへ赴き、村上に対し、グランツ榛名及び第四京葉台の土地を二〇〇〇万円で購入してもらいたい旨申し入れた。ところで村上は、すでに昭和五〇年ころからグランツ榛名の土地のうち、浅見コウ名義の土地などの買入れ希望を被告会社に表明していたが、被告会社と浅見との決済がつかないなどの理由もあって、昭和五三年三月ころにも細川から待って欲しいといわれ、話はそのままになっていた折でもあり、細川、浅尾の前記申し入れを受けて、グランツ榛名にある浅見コウ名義の土地二〇〇〇坪(被告会社が八〇〇〇万円で売り渡し、うち二〇〇〇万円が当時受領済みのもの)のうち一六〇〇坪は購入するが、その余は第四京葉台の土地とともにすべて不要であるとして購入を断わった。ところが細川、浅尾から、右不要の土地については後日被告会社で買い戻すので、とりあえずグランツ榛名及び第四京葉台の土地全部を代金二〇〇〇万円で買って欲しいと要望されたので、村上は、買い戻しを条件とする右要望を受け入れて右土地の買い受けを約した。更に、細川と浅尾は、本件土地の売却を当期の決算に組み入れるため、売却日を昭和五三年三月三一日に遡及させることを村上に要請し、同人の承諾を得るとともに、契約書の作成、代金の支払い等は後日行うこととした。そこで細川と浅尾は、被告人舛井に対し、「サービスに二〇〇〇万円で売ることになりました。今期(当期のこと)の決算に乗せることによって一億円の売却損がたちます。」と報告した。その後、被告会社では、事業年度は四月一日から三月三一日までであり、売上げの計上基準は代金完済又は所有権移転登記のいずれか早いほうとされていたにもかかわらず、右各土地の売上げひいては売却損を組み入れた決算報告書のほか法人税確定申告書の作成が行われ、浅尾が被告人舛井に対し、右法人税確定申告書を示して、「売却損一億円が計上されています。」と説明した。次いで浅尾は、被告人舛井の指示を仰いだ後、取締役自署押印欄に細川の署名を得たうえ、右法人税確定申告書(決算報告書添付)を所轄税務署に提出した。その後の昭和五三年六月になって細川・浅尾や村上との間で右の売買に関し作成日付を昭和五三年三月三一日とする売買契約書が作成調印され、代金の支払いが手形でなされたが、その振出日は昭和五三年三月三一日とされた。なお、昭和五三年六月一〇日ころの時点においても、浅見コウ名義の土地二〇〇〇坪のうち、日本観光サービスが実際に取得を望んでいた一六〇〇坪は特定・分筆されておらず、その他の土地についても、大部分は被告会社の税滞納のため国によって差し押さえられていた。また、前記売買契約書に記載の対象物件中には、すでに他人に売却して所有権移転登記済みの土地や道路部分が含まれていた。その後昭和五三年八月一〇日付契約書をもって、被告会社は日本観光サービスから、右浅見コウ名義の一六〇〇坪以外の土地のすべてを代金一〇〇〇万円で買戻している(なお、昭和五六年四月ころ第四京葉台のある大栄町の土地六区画を浅見コウにおいて代金四三〇〇万円で買い受けている。)。以上の事実が認められる。

3  してみると、昭和五三年三月三一日までの段階においては、日本観光サービスから被告会社に対し、グランツ榛名の土地の一部である浅見コウ名義の土地について購入したい旨の下話ないし希望があったにとどまり、グランツ榛名及び第四京葉台の土地の売買契約は、当期後に締結されたことが明白である。右土地の契約書の作成日付や代金の支払いのために振出された手形の振出日等が昭和五三年三月三一日とされているが、それは、売却損一億円余の当期計上を意図して日付を遡及して作成されたものといえるから、これをもって昭和五三年三月末日までに売買契約が成立したものとすることはできない。しかも、右の売買契約は、浅見コウ名義のもののうち一六〇〇坪を除き仮装の疑いが濃厚といえる。従って、弁護人主張の(一)は事実に反する主張であるから採用できない。

また、被告会社が当期の総売上高に右各土地の売却代金二〇〇〇万円を計上(売却損一億〇五〇二万二三四七円を計上)したことは、右認定のとおり、翌期になされた売買契約の代金を当期に計上したものであるから、翌期の売上げを繰り上げ計上したことになり、これは、所得計算につき事業年度を設け、各事業年度ごとに所得計算を行うことを定めている法人税法の趣旨に反する処置である。そして、本件土地の売上げは、右認定のとおり、本来ならば翌期に計上されるべきものであったところ、繰り上げ計上することによって当期に多額の売却損を出し、当期の所得を過少にしようとしたものであって、恣意的な損益操作というのほかなく、他に、繰り上げ計上を是認すべき事情は何ら認められない。このような計上は、一般に公正妥当な会計処理の基準に従っているとはいえず、法人税法における期間計算の趣旨に反するので、単なる「期ずれ」として処理するわけにはいかないことが明らかであるから、弁護人主張の(二)も採用できない。

また、弁護人主張の(三)にいう評価損の計上は当然に認められるものではない。法人税法では、同法三三条二項のほか同法施行令六八条一号により所定の事由が生じた場合にのみ損金経理を要件として評価損が認容される旨定められているところ、被告会社ではその旨直接明示の経理処理をしていないことは証拠上明らかである。のみならず、関係証拠によれば、右の各土地の売却が容易でなく、販売価格も低下していることは否定し難いところであるが、その主たる理由は、その後の経済情勢の変化により需要が減退したことによることが認められ、こうした場合の損失は、本来売却によって実現されるべきものである。しかも、本件売買契約に至る経緯は前示認定のとおりであって、本件において、こうした売却損の計上をもって、正当な損金経理とみなすことは許されないと解するのが相当である。弁護人の主張(三)も採用できない。

三  原価に配賦された仕入雑費について

弁護人は、被告会社は、前期である昭和五二年三月期において、実際に渋沢起業株式会社(以下「渋沢起業」という。)に対し仲介手数料として二五〇〇万円を支払い、うち一一八〇万五六六九円が仕入雑費として同期末の商品(土地)たな卸高に、ひいては繰り越して当期の期首商品(土地)たな卸高にそれぞれ原価配賦され、更に、当期中に一部売却され、当期末商品(土地)たな卸高においては七八二万五九〇一円が原価配賦されていたところ、右二五〇〇万円の支払いが架空であるとされ、当期首配賦額と当期末配賦額の差額である三九七万九七六八円が否認されたが、右仲介手数料の支払いは架空でなく真実であり、仮に架空であるとしても、右差額は前期の行為に起因する税務計算調整上の加算金に過ぎないので、ほ脱所得から控除されるべきである旨主張する。

しかし、関係証拠によれば、被告人舛井は、自己に対する仮払金を処理するため、渋沢起業の社長である渋沢和民(以下「渋沢」という。)に話をして、同会社から架空の領収証を貰って、それに見合う架空の仲介手数料を被告会社において計上するとともに、自己に対する仮払金をそれと振り替えることにしたこと、被告人舛井は、前期である昭和五二年三月期において、浅尾に対し二〇〇〇万円を渋沢起業に対する仲介手数料として計上するように指示したところ、浅尾は、仲介のついていない取引を選んで、第五八街へ一二〇〇万円、第七八街へ五〇〇万円、第六太陽の丘へ八〇〇万円それぞれ配賦して計上し、合計二五〇〇万円の架空仲介手数料(仕入雑費)を計上したこと、浅尾は、被告人舛井に対し、五〇〇万円多く計上したことについて報告をし了承を得ていること、以上の事実が認められる。これによれば、渋沢起業に対する昭和五二年三月期の仕入雑費二五〇〇万円は架空のものを計上したものであって、しかも、その架空計上は被告人舛井が自ら渋沢と話し合い、浅尾に指示して仲介手数料に計上させたもので、浅尾において増額した金額も、事後報告を受けて了承しているのである。従って、仲介手数料を配賦される土地の売れ具合によっては、翌期である当期にも影響を及ぼし、当期の期首商品(土地)たな卸高を過大にすることによって、当期の所得を過少にすることも当然ありうることは見易いところといえる。それにもかかわらず、前記計上・申告に及んだのであるから、右の差し引き分三九七万九七六八円をほ脱所得から控除しなければならない理由はない(なお、犯意の点は更に後述する。)。

よって、弁護人の主張は採用できない。

四  西友開発に対する仲介手数料(仕入雑費)の計上について

1  弁護人は、被告会社が当期において西友開発株式会社(以下「西友開発」という。)に対する仕入雑費としての架空仲介手数料九八〇〇万円を計上せざるを得なかったのは、次の(一)ないし(四)の合計額を損金に計上して処理するためのものであったから、利益調整ではなく、結局のところ右の損金計上は是認されるべきものである旨主張する。

(一) 被告会社が、昭和五〇年二月から同五三年九月までの間に、三ツ木征雄(以下「三ツ木」という。)から簿外で借入れをし、その支払利息として合計一億〇一四〇万円を支払ったものの、うち被告人舛井の仮払金勘定で処理されたままになっている分合計八一四〇万円は損金に計上すべきもの。

(二) 被告人舛井に対する仮払金の中から、坂東孝利に六〇〇万円、丸信商事有限会社に五〇〇万円、千代田商事株式会社に五〇〇万円、北川清水に一五〇万円をそれぞれ貸し付けたところ、当期においていずれも回収不能となったため、その貸倒れ損失分合計一七五〇万円は損金に計上すべきもの。

(三) 被告会社の名義で昭和五〇年九月購入された車両(ベンツ)の代金が、経理上は被告人舛井に対する仮払金として処理されたままとなっていたから、その購入代金七〇〇万円より下取残存価格二〇〇万円を控除した五〇〇万円は減価償却費として損害に計上すべきもの。

(四) 被告人舛井において、被告会社の仕入等の業務に関し当期に交通費、飲食費等を支出したが、領収証がないため、経理上被告人舛井に対する仮払金として処理されている社長使用経費一〇〇〇万円は損金に計上されるべきもの。

しかし、弁護人の右主張はいずれも理由がなく、採用できないものである。

2  以下その理由について順次判断する。

(一) 三ツ木に対する支払利息については、関係証拠によると、昭和五〇年三月期に一〇〇万円、五一年三月期に三五二五万円、五二年三月期に五〇一五万円で、当期は一五〇〇万円がそれぞれ支払われていることが認められるところ、当期における右支払利息一五〇〇万円は、すでに損金として認容されている。しかし、当期前の支払利息については、期間損益の原則から、当期の損金として認める必要は原則としてなく、本件において例外として是認すべき事情も認められない。しかも、関係証拠によれば、被告人舛井は、前期である昭和五二年三月期においても、浅尾から、被告人舛井に対する仮払金が多額になってきているので、経費に出せるものがあったら書類を出して欲しい旨要請されたこともあって、三ツ木に対し、同人に支払う利息の経理処理ができない旨話したところ、同人から、被告会社と全く取引のない株式会社城南相互信用と株式会社日本住宅観光開発協会を紹介され、それらの会社から架空の領収証を入手して、結局、昭和五二年三月期は、城南相互信用に対する支払手数料(仕入雑費)二六八〇万円、日本住宅観光開発協会に対する支払手数料(販売雑費)一五〇〇万円の合計四一八〇万円を架空計上して右利息の支払を処理したことが認められる。これによれば、三ツ木に対する簿外の支払利息の相当部分は前期で計上済みともいえるのであり、それにもかかわらず、全額を当期で計上処理すべきであるとする弁護人の主張は当を得たものとはいえない。いずれにしても、弁護人の主張(一)は採用できない。

(二) 坂東孝利、丸信商事有限会社、千代田商事株式会社及び北川清水に対する各債権は、後に述べるように、一部その存在自体に問題があるうえ、いずれも当期における貸倒れとは認められない。弁護人主張の(二)は採用できない。

(三) 車両(ベンツ)の購入代金ないし減価償却費については、関係証拠によれば、当該車両は昭和五〇年ころ被告会社名義で購入されて、事業の用に供されていることが認められるうえ、そもそも、こうした車両は資産勘定に計上すべきものであって、その購入代金を損金として処理することはできない。更に、減価償却費は、その旨損金経理がなされた場合にのみ損金に計上できる(法人税法三一条一項参照)のであるが、関係証拠によれば、その経理処理のなされていなかったことが認められるから、後日に至って減価償却費であるとして損金計上の主張をすることは許されない。従って、弁護人主張の(三)は採用できない。

(四) 社長使用経費については、関係証拠によると、被告人舛井が被告会社の業務に関して仕入面等を担当していることは認められるが、弁護人主張の交通費、飲食費等の支出があったかどうかについては、被告人舛井は捜査段階、公判を通じ弁護人の主張に添う供述をしているけれども、具体性に欠け、他にこれらの支出のあったことを裏付ける客観的証拠もない。しかも、押収にかかる被告会社の関係帳簿には、交通費や飲食費ばかりでなく、およそ経費とみられるものは後述の国会議員関係のものを含め網羅的に記帳されていることが認められるのであって、これ以外に、被告人舛井が供述するような多額の経費の支出があったとは考えられない。また、同被告人の供述によっても、領収証がないというほかに、その供述する経費の公表計上について障害となるような事由は見い出せない。たとえ、被告人舛井について、飲食費等につき多額の支出がみられたとしても、すでに損金に算入しうる額を超過している交際費等に該当するか、あるいは同被告人個人の所得の処分とも考えられる。また、関係証拠によれば、被告人舛井に対する仮払金は、競走馬の購入代金や飼育経費、麻雀、海外旅行等にも支出されていることが認められるところ、こうした支出は経費に当たらないともみられるのであって、いずれにしても、被告人舛井の右供述は信用できず、弁護人主張の(四)は採用できない。

五  交際費等限度超過額について

1  弁護人は、被告会社が経費として損金に計上したもののうち、車両経費一八九万四六六〇円、燃料費六一万三六六〇円、印刷費一一五万一五〇〇円、福利厚生費二二万二〇〇〇円、会議費一五〇四万九八三八円、販売雑費二五六万九一〇〇円、広告宣伝費八二六万九二九〇円の合計二九七七万〇〇四八円について、検察官は交際費等に該当するとしているが、これらは、それぞれ支払の実態に応じて右の各勘定科目で処理しているものであるから、交際費等には該当せず、当該経費として損金に計上されるべきである。仮に、これらが交際費等に該当するとしても、それぞれ右の勘定科目で公表計上されているものについて、本件確定申告書付属別表一五による限度超過額の計算にあたり加算を忘れたもので、単なる計算ミスに過ぎず、仮装隠ぺい行為があるとはいえないから、ほ脱所得に加算すべきではない旨主張する。

2  ところで、当時施行の租税特別措置法六二条四項は、交際費等の範囲について、「交際費、接待費、機密費その他の費用で、法人が、その得意先、仕入先その他事業に関係のある者等に対する接待、きょう応、慰安、贈答その他これらに類する行為のために支出するもの」と規定しながら、これに続けて「(もっぱら従業員の慰安のために行なわれる運動会、演芸会、旅行等のために通常要する費用その他政令で定める費用を除く。)をいう。」と例外のあることを規定し、これを受けて右措置法施行令三八条の二が残余の例外事例を規定していることに鑑みると、法人における支出が福利厚生、広告宣伝、会議又は減価償却資産の取得等を目的とするものであっても、支出の対象となる行為の内容・性質が前示の接待、きょう応、慰安、贈答その他これに類するもの(以下「接待等の行為」ということがある。)に当たるものであるときは、計上勘定科目のいかんにかかわらず、原則として交際費等に該当し、ただ右の例外事例に当たるものについてだけ、交際費等の範囲から除外していると解するのが相当である。

3  これを本件についてみると、まず、関係証拠によれば、車両経費一八九万四六六〇円のうち、一五三万二四一〇円は、被告会社が、以前にA子参議院議員のため、その名義になっている乗用車(ベンツ)の修繕費、自動車保険料及び事故示談金を負担して支払ったものであり、また、燃料費六一万三六六〇円、印刷費一一五万一五〇〇円及び福利厚生費二二万二〇〇〇円は、同じくA子議員のため、その乗用車のガソリン代、同議員使用の年賀状、暑中見舞及び名刺の印刷代、参議院議員会館に飾る花等の代金であって、被告会社が負担して支払ったものであることが認められ、関係証拠によって認められるA子議員と被告会社の関係に鑑みると、右の各支出は、いずれも被告会社の事業に直接関係しないもので、贈答ないしこれに類する行為と解するのほかなく、前示の例外事由にも該当しないから交際費等に該当するといえる。なお、関係証拠によると、被告人舛井は、浅尾に対し、A子議員の名前を出さないで処理するように指示したことから、浅尾が本来交際費等とすべきところ、支出の相手方の名前を公にしない方法として、これらを車両経費、燃料費、印刷費、福利厚生費として処理したものであることが認められる。

次に、関係証拠によれば、広告宣伝費八二六万九二九〇円のうち六九五万円は、被告会社がB親方に外車オールズモビル・スプリムセダンを贈ったときの代金であり、車両経費一八九万四六六〇円のうち三六万二二五〇円は、同外車の取得税や登録費用等であり、いずれも被告会社が負担して支払ったものであることが認められる。ところで、B親方と被告会社の関係をみると、B親方や大関Cが被告会社のテレビコマーシャルに出演しているものの、その対価については、広告代として別途ライフ企画に支払済みであることが認められ、浅尾も、当期の支払いは御祝儀である旨供述しているのであって、被告会社の右各支出は、贈答ないしこれに類するものとして、交際費等に該当することは明らかである。

また、広告宣伝費八二六万九二九〇円のうち、残余の金額については、関係証拠によれば、取引先を相撲に招待するためのマス席代三一万九二九〇円及び仕入先のいずみ興産に贈った将棋盤一〇〇万円の合計で、これらが交際費等に該当することは多言を要しないところである。

更に、会議費一五〇四万九八三八円については、関係証拠によれば、被告会社がミーテング代という名目で負担していたスナックや焼き鳥屋での親睦会などの費用で、しかも酒食を伴ったものであることが認められるから、接待等の行為に該当することは明らかであり、前示施行令三八条の二等の例外規定に照らしても、交際費等に該当するものといえる。

残る販売雑費二五六万九一〇〇円については、関係証拠によれば、被告会社が、成績発表会及び五周年記念祝賀会を、それぞれ京王プラザホテル、ヒルトンホテルで酒食を供し、歌手、楽団を入れるなどして行ったものであることが認められ、その内容、金額等に照らしても、接待等の行為に該当し、前示例外事例等には当たらず、交際費等に含まれるものといえる。

なお、関係証拠によれば、被告会社では、昭和五〇年三月期から五二年三月期までの各法人税確定申告に際し、こうした成績発表会等の費用を会議費等として計上処理する一方、確定申告書別表一五で交際費等に加算して限度超過額の計算を行っていることが認められるから、被告会社関係者特に浅尾において、これが交際費等に該当することの認識を有していたことは明らかである。それにもかかわらず、本件法人税確定申告にあたり別表一五に記載されていなかったことは、担当税理士等の確定申告書点検だけでは是正の余地がない場合といえるし、架空経費の計上等と同列に論じられないにしても、申告納税制度のもと、しかも、被告会社のような青色申告法人にあっては看過できない不正といわざるを得ない。従って、弁護人の主張はいずれも採用できない。

六  貸倒れについて

1  弁護人は、後記2の(一)ないし(七)の標目として掲記する各債権が当期において貸倒れの状況にあったから、被告会社の所得計算上、すべて損金として減算されるべきものである旨主張する。

ところで、法人所得の計算上、当該債権が回収不能による貸倒れ損失として損金を構成するためには、単に回収困難の程度では足りず、債務者の資産状況、支払能力のほか、可能な取立手段など諸般の事情からみて、当該債権金額につき回収の見込みのないことが当該事業年度中に確実になった場合に限られると解するのが相当である。また、貸倒れ損失の認定上、損金経理や確定申告は法律上の要件とされていないものの、貸倒れの有無は、それについて直接の利害を有し、回収の能否に最大の関心を有しているはずの債権者において、最も的確に把握しているとみられるから、債権者において、他に貸倒損失の処理をしている債権がありながら、ある債権につき未だ貸倒れの処理をしていないような事情は、回収の見込みの有無の認定にあたり考慮すべき重要な事情の一つとみることができる。

そこで、関係証拠を検討するに、後記説示にもあるように、弁護人主張の債権のなかには、存在自体あるいは金額的にも疑問のあるものがないではないが、たとえ、それらが肯定されるとしても、以下に説示するところからも明らかなように、いずれも貸倒れ状態に至っていないことが認められる。このことは、当期において被告会社が決算ないしこれに続く確定申告上、相当額の債権放棄、回収不能ひいては雑損失を計上しているにもかかわらず右主張の各債権については、こうした計上処理のなされていないもののあることが関係証拠上認められることや、更に、その理由につき被告人舛井が検察官に対し、なお、勿体無いので損失処理に踏み切ることに躊躇していた旨供述していたことなどに徴しても明らかである。

2  そこで、以下、その理由につき各個別に説明を補足する。

(一) 株式会社日本拓商に対する債権二五〇〇万円

関係証拠によれば、被告会社は、昭和四八年一二月ころ、株式会社日本拓商(変更後の商号高砂物産株式会社)から、北海道虻田郡豊浦町の山林等六筆(合計一九万平方メートル余)を買い受けて代金二二〇〇万円を支払い、昭和四九年三月期の決算で右物件を商品土地として計上したが、その金額は右の二二〇〇万円に測量費、調査費用六八一万八八九三円を加えた二八八一万八八九三円とされていたこと、ところが、右の物件は実測面積が一四万平方メートル余しかなかったことから、昭和四九年九月一八日、株式会社日本拓商との間で右契約を合意解除し、その代金二二〇〇万円の返還とともに、損害金三〇〇万円の支払を受けることになり、古塩幸三及び同人が代表取締役をしている高砂興業株式会社がその支払義務につき連帯保証したこと、しかし、その履行がなく、調査の結果、株式会社日本拓商や連帯保証人に支払能力がないと判断した被告会社では、昭和五〇年三月期の決算で「貸方・商品土地二八、八一八、八九三円」、「借方雑損二八、八一八、八九三円」の経理処理をするとともに、前記二二〇〇万円に損害金三〇〇万円を加えた合計二五〇〇万円の債権について、同五〇年七月、右連帯保証人らの所有する土地・建物に対し仮差押をして、その支払を請求したこと、その後の昭和五一年八月ころ東京国税局調査部による調査があり、前記二八八一万八八九三円のうち、二二〇〇万円については仮差押が継続中であることなどを理由に雑損処理を否認されたので、これを被告会社では昭和五二年三月期の決算で未収入金二二〇〇万円として受け入れ計上し、同期及び翌五三年三月の当期における各法人税確定申告書でも、未収入金二二〇〇万円として計上し、本件発覚後の昭和五四年六月一九日に提出された昭和五三年三月期の修正申告書で「貸倒損二二〇〇万円」として計上していること、他方、前記仮差押については、それぞれ先順位の債権者があり、土地については昭和五二年一二月二日に、建物については昭和五三年七月一二日ころに各配当手続が実施されたものの、いずれも被告会社の配当はないこととなったこと、また、右山林等六筆の被告会社への所有権移転登記はすでになされていて、前記合意解除の際の約定により被告会社は、右二五〇〇万円の完済を受けたとき、その抹消登記手続をすることになっていたが、その支払がないことから、そのまま現在に至っており、なお、昭和四九年九月、国税滞納のため東京国税局の差押を受けたほか、以後も債権者を大蔵省とする参加差押が続いていること、右物件の権利関係をめぐる民事裁判も係属していること、以上の各事実が認められる。

右認定の事実関係によると、前記仮差押物件から回収できないことが最終的に判明したのは翌期に入った昭和五三年七月一二日のことであったばかりでなく、被告会社の所有名義となっている北海道虻田郡の六筆の土地は、全くの無価値とは認められず、国税に関する差押を受けるなどしているものの、事実上も、被告会社の前記債権を担保する機能を有しているものといえるうえ、当期においては、その換価手続も終了していなかったことが認められるのであるから、最終的な回収額も未確定の状態にあり、加えて本件法人税確定申告書においては未だ貸倒れの処理がなされていないこと等からして、当期において、回収の見込みのないことが確実になったとは認めることができない。

(二) 株式会社匠都市建築設計事務所(代表取締役落合庸良)に対する債権一〇〇〇万円

関係証拠によると、被告会社は、右株式会社匠都市建築設計事務所(以下「匠事務所」という。)に対して、昭和五二年二月ころ、埼玉県大宮市大字南中野字新田一二一〇の三ほか四五筆の土地について、道路位置指定を含む開発設計に関する設計契約を締結し、設計代金一〇〇〇万円を支払ったが、代表取締役の落合庸良が刑事事件を起こし、昭和五二年四月に逮捕されたため、右契約の履行ができなくなったこと、そこで、被告会社は落合に一〇〇〇万円の返済を求めたが支払いがなく、その後、落合は起訴され、懲役六年の有罪判決を受けて服役していること、落合が逮捕された当時、匠事務所の負債総額は八億円位であったが、担保物件の処理によりかなりの部分が返済され、現在残債務は銀行関係と被告会社に対するもので、合計一億五〇〇〇万円位であること、銀行は鴻巣、春日部、浦和等にある匠事務所の土地等を担保に取っていて、弁済を猶予している状況にあること、現在、落合の従兄弟が右の財産を管理していて、落合出所後の再出発にそれらの財産をあてる予定でいること、なお、同人の刑の満期日は昭和五八年九月一日であること、被告会社では、右債権を昭和五二年三月期以降未収入金に振替えており、同期及び当期の法人税確定申告書でも未収入金として申告していること、以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、昭和五二年四月ころに匠事務所の代表者である落合が逮捕され、その後引き続き現在まで受刑中であるが、匠事務所には資産もあり、逮捕当時あった八億円余の負債のかなりの部分が返済されているうえ、現在も鴻巣、春日部等に不動産を有していることもあり、落合に再起の見込みがないとすることには躊躇を感じざるを得ず、すくなくとも当期においては、回収の見込みのないことが確実になったと認めることはできない。

(三) 北川清水に対する債権七〇〇万円

関係証拠によれば、北川清水は、中野剛と共同で、昭和四五年ころ株式会社労協(代表取締役中野剛)を、昭和五〇年ころには、これに代って親和地所株式会社(代表取締役江川義法)を相次ぎ設立して不動産業を営み、千葉県大栄町所在の被告会社の第四京葉台分譲地の販売に携わるなどした際、被告会社から融資を受けるなどして、その額は一時千四、五百万円位に達し、これらは中野と共に個人でも責任を負うべきものとされていたこと、そこで北川は、昭和五〇年初めころ、その半額程度の七〇〇万円位につき債務の免除を受け、残金を昭和五〇年の秋ころから昭和五一年の初めころにかけて支払ったこと、しかし、被告会社では、右の債務免除が国税当局から否認されたことから帳簿上未済のまま残ることになり、その処理のため求めに応じ北川において架空領収証を被告会社に提供したこともあったが、昭和五一年三月以降、北川の住居や電話番号に変更がなかったにもかかわらず、被告会社ないし被告人舛井から返済請求は全くないこと、被告会社の昭和五四年三月期法人税確定申告書には労協三〇〇万円、北川二五〇万円について雑損失の処理がなされていること、その後北川は、中野と離れて、昭和五〇年か五一年ころ、同じく不動産業を営む丸和地所株式会社を設立して代表取締役となったが、同会社は昭和五三年後半から赤字が続いたものの営業を続け、昭和五六年四月に至って不渡りを出し、その後は個人で不動産業に携っていること、本件を除けば北川の右各会社関係の債務として千七、八百万円位があるだけで、その借入先は親、兄弟、先輩等で返済を強く迫まられているところはないこと、なお、北川は、被告人舛井と親しくしていて、昭和四九年ころから五一年初めころまでに、麻雀で負けた金員合計一〇〇万円位の面倒をみて貰ったこともあること、以上の各事実が認められる。

そうすると、被告会社の北川に対する債権は、たとえ是認されるとしても、右認定の事実関係とくに被告会社及び被告人舛井が、その返済を求めたことのないこと、被告人舛井において、北川が麻雀で負けた金員の面倒をみているなどの個人的関係、また、右丸和地所が不渡りを出したのは昭和五六年四月のことで、それ以前は営業を続けていたこと、被告会社において、昭和五四年三月期になって北川等に対する債権を雑損失処理していること等からして、すくなくとも当期においては、回収の見込みのないことが確実になっていたと認めることはできない。

(四) 今井旭に対する債権七七五万四〇〇〇円

関係証拠によれば、被告会社は、千葉県八街の不動産ブローカー今井旭と昭和五二年ころ取引をしていた関係で、同人に対し七七五万四〇〇〇円の債権を有していたが、同人が刑事事件で逮捕され、その後行方不明になってしまったため右債権の回収はできていないこと、その後、被告会社は、昭和五四年三月期に右債権を雑損失処理したことの各事実が認められ、なお、被告人舛井は、当公判廷で右今井は韓国人であって、二、三年前に死亡した旨供述している。

しかし、《証拠省略》によれば、今井旭との取引は昭和五二年中まで継続していて、翌期である五四年三月期の決算で同人が仲介した物件の土地代金と差引き計算が行われ、残額について前示雑損失の処理がなされたというのであるから、この一事に徴しても、当期においては、回収の見込みのないことが確実になっていたと認めることはできない。

(五) 坂東孝利に対する債権六〇〇万円

関係証拠によると、坂東孝利は、もと被告人舛井が代表取締役であった第一信用株式会社で取締役をしていた者で、株式会社サンアイ土地を経営していたこともあり、貸主が被告会社が被告人舛井個人であるかは別として約六〇〇万円の借受残債務のあることが認められる。しかし、証拠物中の被告会社の関係帳簿上、右債権を直接表示する記載は見受けられない。また、浅尾明伸は、《証拠省略》で「被告会社の帳簿からは貸付けてないし、貸付があるとしても被告人舛井に対する仮払金か同人個人の金から貸している」旨を供述している。更に、押収してある借用証をみると、被告会社の用箋が使用されているものの、「舛井敏夫」から三〇〇万円を借用したことになっている。その他、《証拠省略》に鑑みると、弁護人主張の債権が被告会社を債権者とするものであるかは甚だ疑わしい。しかし、関係証拠によれば、右株式会社サンアイ土地倒産後も、坂東は、しばらく被告人舛井のもとに出入りしていたし、住居に変動がなかったのに、返済の請求がなく、昭和五六年五月ころになって被告人舛井から電話で右債務弁済の要求があった程度であること、なお、坂東は、昭和五五年二月ころから兵庫県宝塚市にあるリケン興業の営業部長として歩合給で勤務しているが、みるべき資産を有しておらず、現在たな上げにしてもらっている負債が一五〇〇万円から二〇〇〇万円位あること、被告会社では、昭和五四年三月期になって、仮払金整理損として坂東二〇〇万円を計上申告していること、以上の各事実が認められる。

これによれば、たとえ、被告会社の債権として肯定されるとしても、被告人舛井の請求は右の程度であって最終的な回収見込額も未確定の状態で、坂東に再起の見込みがないことが明らかであると断定することもできないこと等から、すくなくとも当期においては、回収の見込みのないことが確実になっていたと認めることはできない。

(六) 丸信商事有限会社に対する債権五〇〇万円

《証拠省略》によれば、弁護人主張の債権は昭和五二年三月期の被告会社決算報告書に貸付金として記載・明示されたものではなく、債権があるとしても、被告人舛井に対する仮払金から支出されたものとする公算が大で、被告会社の債権として主張の金額全部が残存しているかは疑問なしとしない。また、被告会社の当期総勘定元帳雑損失欄には、「三月三一日未払金丸信商事整理損二一〇万円」なる旨の記載が見受けられる。この処理方式自体に問題があることはさて置いても、この二一〇万円が弁護人主張の債権の一部かどうかも疑問なしとしない。しかし、証人渋谷寛は当公判廷で「丸信商事は、昭和五〇年一一月ころ、千葉県成田の造成地七三〇〇坪を被告会社に代金七億円で売り渡し、被告会社がその土地を「第五太陽の丘」という名称で売り出した際、造成途中に国土法が施行されたことによる制約もあって、資金繰りに苦慮していた丸信商事は、被告会社から融資を受けたが、その利息二〇〇万円の支払が未済になっていること、また、昭和五二年ころ、右造成地の石が崩れて、その工事代金三〇〇万円を被告会社に立替払いをして貰ったが、その代金を返済していないこと」など、債権を是認する供述をしているのである。そこで、弁護人主張の債権が認められるとしても、関係証拠によれば、その後、丸信商事は相当の負債を抱えてその整理に追われていたが、結局、昭和五四年に代表者の渋谷寛が個人で所有する土地を売却し、その代金を右負債の返済に充てたものの、右合計五〇〇万円の債務については、国土法で赤字が出たのだから負けて欲しいなどといって返済要求に応じなかったこと、しかし、結局丸信商事は不渡りを出すことなく昭和五四年一二月一八日解散したこと、その後渋谷の経営する他の事業は継続しており、丸信商事の資産はないものの、家屋、宅地六〇〇坪、農地一一〇〇坪は渋谷の個人所有として残っていること、なお、被告人舛井は、渋谷に対して昭和五三年か同五四年ころ一回電話で返済を請求し、昭和五四年か五五年ころには、被告会社の従業員が渋谷のもとへ二回位返済要求に行ったが、「今、金がない」とか、「分譲地で赤字を出しているんだからまけて欲しい」などと言われて返済は得られなかったこと、以上の各事実が認められる。

こうした事情に照らしてみると、弁護人主張の債権については、前示の諸疑問が残るうえ、果して当期に貸倒れ損失の計上をしたものといえるかも疑いなしとしない。現に、被告人舛井ないし被告会社は当期以降現在に至るまで返済の催促を続けているのであり、同人には資産もあるうえ、丸信商事の債務であるから個人に責任はないなどとして返済を拒否しているものでないことは、渋谷の公判証言に照らして明らかである。すくなくとも、当期においては、いまだ回収の見込みのないことが確実になっていたと認めることはできない。

(七) 千代田商事株式会社に対する債権五〇〇万円

関係証拠によれば、被告会社は、昭和五一年ころ、千葉県印旛郡富里村の分譲地三〇〇〇坪の販売委託を右千代田商事株式会社(以下「千代田商事」という。)から受けた際、同会社に保証金として五〇〇万円を差し入れたが、右分譲地が差押を受け、昭和五二年一一月一八日ころ競売されたため、千代田商事による被告会社への販売委託が不可能となったことから、右保証金五一〇〇万円の返還を受けることとなったが、その返還はなかったこと、当時、千代田商事は、かなりの債務を負っていて、昭和五三年四月に不渡りを出し、また、そのころにも仮差押物件が競落されるなどしたこと、その後、同社の代表者である関口政好は、自己所有の不動産を処分するなどして同会社の債務を返済しており、被告会社に対する債務も昭和五四年に至って全額回収済みとなっていること、以上の各事実が認められ、もとより、被告会社において当期の決算・確定申告上貸倒れ損失として計上した事跡も見当らない。

そうすると、千代田商事が不渡りを出したのは翌期の昭和五三年四月になってからのことであり、不渡りを出した後も営業を続け、昭和五四年になって被告会社により全額回収されていること等から、右債権が、当期において、回収の見込みのないことが確実になっていたと認めることはできない。

以上のとおりであるから、弁護人の貸倒れに関する主張はすべて採用できない。

七  土地重課税について

弁護人は、建売分以外の土地の土地重課税については、前記一ないし七の弁護人の主張が認められれば、土地譲渡利益金額及び土地譲渡税額は変更されるべきものであり、建売分の土地の土地重課税については、その譲渡原価、譲渡価格を付近の標準地の公示価格の一二〇パーセントで推計しているのは不当であり、その中には、標準地の選定を誤っているものもあって、これらを修正すると、課税土地譲渡金額は三一五三万七一一五円となる旨主張する。

そこで判断するに、建売分以外の土地の重課税に関する弁護人の主張は、前記一ないし七の弁護人の主張が認められないので、採用することができない。また、関係証拠を検討しても、当期までの被告会社における支出ないし資産状態で、本件土地重課税額の算定結果に変動を生ぜしめるような事情は認められない。

次に、建売分土地重課税算出に当たっては、当該土地の譲渡原価、譲渡価格の確定が必要となるところ、関係証拠とくに収税官吏作成の昭和五七年四月一六日付土地重課税調査書によれば、その実際金額が不明のため、地価公示法に基づく付近標準地の公示価格に一二〇パーセントを乗じて計算されていることが認められ、この計算根拠が妥当であるとする浅尾の昭和五四年七月二〇日付申述書写が右調査書に添付されている。浅尾は、この申述書写を提出するに至った経緯等について、「実額が不明のため、税務当局から隣接地の売買実例で申告することを求められたが、売買実例が見当たらなかったため、税務当局の示唆に基づき、付近の標準地の公示価格の二割増しで申告することとし、よく似た地名、地番の標準地を選び出したうえで、それぞれの公示価格に一二〇パーセントを乗じて、これをもって本件各土地における譲渡原価・譲渡価格としたものである」旨証言しているところ、これが収税官吏の示唆に基づくものであることは否定し難いところであり、また、右標準地が本件該当の土地と必ずしも同一条件下であるとはいえない。更に、これら土地につき、被告会社の仕入先が被告会社に売却したとする金額について、各仕入先の法人税確定申告書添付の資料等を検討すると、なかには付近標準地の公示価格を下回るものも見受けられ、しかも、こうした資料すら本件物件の全部について提出されていない。しかし、右資料だけではあるが、これを計算すると、その平均価格は公示価格の一二〇パーセントを上回るものである。また、浅尾は、当時、不動産の売買・仲介等を業とする被告会社で経理部次長の地位にあって同部の事務を統括していた者で、同人の供述や証言内容に照らしても、被告会社取扱物件の立地条件ひいては実勢譲渡原価等にも多大の関心と知識を有していたであろうことは推測に難くない。その浅尾において、収税官吏の示唆があったとはいえ、一~二日の猶予を得、被告会社に帰って作業をしたうえ、右示唆を了承して前記上申書を作成したのであるから、右を了承するについては、浅尾のみならず更に事情に精通した被告会社関係者による検討の加えられたであろうことは見易い道理であって、右上申書の正確性については十分に実質的根拠があったものとみなければならない。浅尾明伸作成の昭和五七年九月三日付上申書も以上の認定判断を左右するものではない。また、翌期とはいえ、被告会社では、昭和五四年三月期の建売分の土地の申告についても、実際金額によらず、本件同様に公示価格の一二〇パーセント方式を採用していることが認められる。その他、公示価格と実勢価格に関する当時の趨勢一般を含む証人小関道也の供述内容等を併せ考えると、浅尾が右の方法を用いて算出した数値は、いわゆる実額を超えないものと認定するに十分であるということができる。

従って、弁護人の主張は採用できない。

八  故意について

1  弁護人は、グランツ榛名及び第四京葉台の土地の売上げを計上したことについて、被告人舛井は、被告会社と日本観光サービスとの間の右各土地の売買については、全く関与しておらず、当期に売却されたものと思っていたし、仮に翌期の売り上げとしても、当期に繰り上げ計上するのは、単なる期ずれの問題であり、また、本来たな卸資産の評価損を計上しうる土地であるから、いずれにしても正当な処理であると思っていた。前記三の、原価に配賦された仕入雑費の差額についても、前記のとおり、昭和五二年三月期に渋沢起業に対して支払った仕入雑費に起因する税務調整上の加算金に過ぎないから、ほ脱の犯意がない。西友開発に対する架空仲介手数料九八〇〇万円の計上は、前記四の1の(一)ないし(四)の支出や損失を処理したものであり、それらはいずれも利益調整を目的としたものではない。交際費等の限度超過額についても、前記五の1に主張する事情があって、ほ脱の犯意がない。建売分土地の取引については、通常課税されないのが不動産業界の一般であるし、また、建売物件の保有期間が短いことから、土地重課税の対象とはならないものと考えていたから犯意がない。以上のような事由等から、被告人舛井には、ほ脱の犯意がない旨主張する。

2  しかしながら、本件においては、前示一ないし七で認定した事実のほか、関係証拠によると更に以下の事実が認められる。すなわち、西友開発に対する架空仲介手数料の計上については、前示二で認定したように、昭和五三年三月一八日ころ、浅尾が被告人舛井に当期の利益見込みを報告した際、被告人舛井は、自己に対する多額の仮払金を処理するため、浅尾に指示して、被告会社で仕入れた土地のうち仲介者の入っていない物件を選んで、その売買代金に三パーセントを乗じた仲介手数料を算出して、その合計九八〇〇万円を架空の仲介手数料として計上することとし、四月に入ってから、被告人舛井は、西友開発の社長である大山隆一郎に対し、対応する取引がないのに同社の仲介手数料として右金員九八〇〇万円を計上してくれるように依頼して了承を得た。そこで、浅尾は、明細メモを作成して西友開発に渡し、その明細メモに合わせた領収証を同社から貰い受け、その架空の仲介手数料合計九八〇〇万円を当期の手数料として計上した。西友開発においては、右仲介手数料を受け入れるとともに、それに見合う金額を架空経費で支出する帳簿処理を行い、いわゆる通過勘定になっていたため、昭和五三年八月における税務調査で問題となり、これを知って驚いた被告人舛井は、右大山を被告会社に呼んで、その点に関し苦言を述べた。以上の各事実が認められる。更に、三ツ木に対する支払利息の処理についても、被告人舛井は、前示認定のように、当期前に合計四一八〇万円の架空仲介手数料を計上して不正処理し、当期の支払利息が一五〇〇万円に過ぎないことを知っていたことが認められ、これによっても、はたして、被告人舛井が、三ツ木に対する支払利息を処理する意図で西友開発に対する前示架空仲介手数料を計上したかは疑わしい。貸倒れについては、前記六で認定判示したとおりであり、現に千代田商事分は回収し、被告人舛井も、検察官に対し丸信商事分については回収の可能性が残っている趣旨の供述をするほか、貸倒れはなかなか認めてもらえないので、架空仲介手数料を計上したなど供述しているのであって、被告人舛井も、右債権が貸倒れになっていると確信していたものとは思われない。また、グランツ榛名及び第四京葉台の各土地に関する期末たな卸土地の除外については、被告人舛井は、前示のように浅尾から報告や説明などを受けて了承を与えているのであるから、被告人舛井において、右土地の売買が当期後に行われたことの認識を有していたことは明らかであり、更に、昭和五三年五月三一日までに右売却損を組み入れた決算報告書ないし確定申告書が作成され、被告人舛井において、その提出を指示しているのである。このように、同被告人は本件土地の売却に関する事情を知っているものであって、右売却損の計上が必ずしも正当な処理であるとまでは確信していたわけでもないことは、被告人舛井が、「そんなことができるのかと不思議に思った。」と供述していることからも窺われる。その他弁護人の縷説するところも、つまるところ法律の錯誤や同一構成要件内における具体的事実の錯誤等の主張に帰し、後述する点も併せ考えると、本件において、被告人舛井の犯意を肯認するにつき、その障害となるような事由は認められない。

以上に照らしてみると、そもそも本件犯行の手段は、架空仲介手数料の計上、その他前示のとおりであって、被告人舛井は、これらの行為を自ら実行し、あるいは浅尾に指示するなどして深く関与していたものであり、浅尾の経理処理に被告人舛井が気づかなかったとしても、経理上の具体的な処理は浅尾に一任していたことは被告人舛井の公判供述に照らしても明らかであり、その浅尾が措った不正処理も、結局、被告人舛井の納税に対する姿勢が影響して生じたものといえないではない。こうした事情のもとでは、本件のような結果は、むしろ被告人舛井の容認するところであったと認めざるを得ない。しかも、被告人舛井は、架空仲介手数料の計上等を積極的に行ったものであり、本件確定申告書が正しい所得を記載したものではないことを認識しながら、しかも浅尾の報告で、概括的な所得も認識したうえで、ことさらに虚偽過少の申告に及んだ事実が認められるのであるから、本件では、虚偽過少申告行為自体も全体として所得秘匿の手段たる不正行為ということができる。従って、免れた税額の中に、これと無関係な特段の事情に基づく部分が認められない本件においては、弁護人の指摘する部分を含め、申告税額と正当税額との差額全額について右不正行為との因果関係が肯認されることはもとよりのこと、ほ脱の犯意においても欠けることはないというべきである。

以上のとおりであるから、弁護人の主張は採用できない。

九  その他、弁護人の主張や被告人らの弁解に鑑み検討したが、判示認定を左右する事由は認められない。《証拠判断省略》

弁護人の主張はいずれも採用することができない。

(法令の適用)

被告人舛井の判示所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては改正後の法人税法一五九条一項に該当するが、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処する。

更に、被告人舛井の判示所為は被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社については右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により判示罪につき同じく改正前の法人税法一五九条一項の罰金刑に処せられるべきところ、情状により同条二項を適用し、その金額の範囲内で被告会社を罰金四〇〇〇万円に処することとする。

なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、十数年にわたり不動産の販売等を営む被告人舛井において、被告会社に関し、二億〇九〇〇万円余の所得を秘匿し、一億三八〇〇万円余の法人税を免れた事案である。申告した所得は実際の所得の半分程度であって申告率は芳しくなく、免れた税額も少なくない。犯行の手段方法は、西友開発に対する架空仲介手数料の計上、日本観光サービスに対する土地の売却を、当期の如く装ってなした土地売却損の計上などであり、被告人舛井において、右架空仲介手数料の計上につき細かくその方法を経理担当者に指示したうえ、関係取引先とも通謀して、被告会社の内容虚偽の帳簿に合わせた領収証を貰い受けるなどして虚偽の徴憑類を作出したりして、巧妙かつ悪質なものである。被告会社は、以前から、毎期こうした架空仲介手数料を計上するなど、多かれ少なかれ不正行為を継続していたもので、しかも昭和五一年八月には、国税局の調査を受け、架空仲介手数料等を指摘されて修正申告をしているにもかかわらず本件犯行に及んだもので、被告人舛井の納税意識の希薄さは明白であって、その刑責は軽視できない。犯行の動機についてみると、被告人舛井は、自己に対する仮払金が多額になっていたので、架空経費の計上により当期の利益を減少させるとともに、その仮払金を右架空経費に振り替えることによって減少させること等を企て、本件犯行に及んだものであることが認められる。仮払金の計上自体は直ちに脱税のための不正行為といえないとはいえ、これを架空経費に振り替えるに至れば、これは明らかに脱税のための不正手段というほかはないのである。もっとも、仮払金の中には一部被告会社の簿外経費である三ツ木征雄に対する支払利息が含まれていて、これを架空経費といえないにしても、それは三ツ木の脱税を助けることに繋がるのであって、本件では当期分の支払利息の損金性を是認したものの、そもそも他人の脱税幇助のため簿外化した経費まで損金性を是認してよいかは甚だ疑わしい。それはそれとして、被告人舛井は、これまでに赤字会社等をその支払の相手方とする多額の架空仲介手数料を計上して右仮払金と振り替えており、その仮払金のうちには、被告人舛井の競走馬の購入等個人的用途に費消されたものが多額にあり、かかる仮払金を後日被告会社の架空経費に振り替えることは、単に脱税の不正手段であるに止まらず、脱税所得の不正社外流出ないし個人費消となるものであって、これが不当であることは言うまでもない。従って、犯行の動機において格別斟酌すべきものは見当たらない。また、売却損の計上についてもその方法を考えつき、具体的に実行したのは経理担当者らであっても、その企てに了承を与えたのは被告人舛井であって、その責任を免れさせ、あるいはこれを格段に軽減させるわけにはいかない。また、被告人舛井は、不動産業を個人で営んでいた昭和四二年ころ国税局の調査を受けて一〇〇〇万円位の支払いを余儀なくされたことがあるほか、自己が代表取締役であった第一信用株式会社に係る法人税法違反の罪で昭和五一年三月二四日東京地方裁判所において懲役八月、執行猶予三年に処せられた同種事犯の前科前歴があり(なお、第一信用株式会社は罰金九〇〇万円に処せられたが、その納付がないまま同会社は解散されている。)、前示のように昭和五一年八月にも税務調査を受け、不正を指摘されながら、右執行猶予期間中に更に本件に及んだもので、その他、被告会社において昭和四九年三月期以降当期まで、毎期重加算税か過少申告加算税が課され、一部にしろ、滞納が半ば慢性化していることなど以上の諸点に鑑みると、特に被告人舛井の刑事責任は重いといわなければならない。本件に関して、被告会社において修正申告をし相当額の支払をしていること、グランツ榛名及び第四京葉台の各土地については、損金計上は認められないものの、資産価値が低下していたことは否めない事実であったこと、土地重課税という政策的な税が課せられているため、所得に比して税額も高額となっていること、被告人舛井の身上等有利な一切の事情を考慮しても、特に被告人舛井については実刑に処するのが相当と思料される。

(公訴権の濫用の主張について)

なお、弁護人は、事由を縷述して本件は公訴権の濫用であると主張するところ、その理由とするところは、「被告会社は東京国税局調査部による調査を受け、その後、被告会社において調査部と交渉し、修正申告をしようとしていたところに更に同局査察部の査察調査を受けた。査察部の調査結果も調査部の調査結果と内容において殆んど変わりなかった。被告会社は、調査部との交渉に基づいて修正申告を行い、税額を納付した。それにもかかわらず、昭和五四年七月三〇日告発され、その後二年近く経過した昭和五六年五月二九日起訴された。その起訴に係るほ脱所得の内容は、調査部の調査の結果と同一であり、裏預金、隠匿財産、不正流用金等は全くなく、しかも、起訴当時は重加算税の賦課決定処分もなされていなかった。以上の事実からして、本件は不起訴相当の事案である。」などというのである。

しかし、以上に判示してきたことからも明らかな本件事案の内容や情状に照らしても、本件は、公訴権の濫用が問題となる事案とは到底思われない。本件において、検察官による公訴の提起を違法とし、あるいは公訴権の濫用にわたるとするような事由のないことは明らかである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 原田敏章 原田卓)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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